宗教化

創業者または現在の経営者を神格化して、会社のために働くことが社員にとって至上の喜びであるかの如く信じ込ませることで、低賃金で働くことやサービス残業に疑問を持たない精神状態に置くこと。

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過酷な労働条件のもとで社員を思考停止に追い込む

●仕事を「修行」と言い換えて搾取する

宗教・信仰というものは心を豊かにし、人生に潤いを与え、ときには生きる指針を与えてくれる存在であることは充分に承知している。ここでいう「宗教化」とは、信者の私有財産を収奪し、団体の活動が社会に対して少なからず悪影響を与えるカルト教団のことを指し、真面目に信仰生活を送っておられる宗教団体や信者の方々とは別世界の話である。

今から20年前の1995年は、地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件など、日本にとって悪夢のような事件が続発した。後にカルト宗教団体「オウム真理教」による犯行であることが判明し、教祖は逮捕され、裁判で死刑が確定している。

オウム真理教は当時、宗教団体の認可を受けており、宗教活動と並行して様々な経済活動も行っていた。その代表的なものの1つが、パソコンの販売と修理を格安で行うショップ「マハーポーシャ」で、信者たちはタダ同然で働かされていた。

経済活動を修行の一環と位置付けることで、労働を「神に仕える行為」にすり替え、信者を無給で使えるから収益が上がる。また、働かされている信者自身も修行だと思っているから、365日24時間コキ使われていることに、何の疑問も抵抗も感じないのである。

もっともオウムは極端に極端を重ねた特殊な事例だが、そこまで極端でなくても創業者を神格化して崇め奉り、会社のために働くことが社員の喜びだと信じ込ませるような、過度なマインドコントロールをやっている事例が問題視されることがある。

ほとんどの企業では、新人研修で経営理念や経営方針などを教育して愛社精神を啓発し、会社の利益に貢献する社員を作ろうとする。そういう意味では、誰でもマインドコントロールを受けていることになるのだが、だからといって会社のために命を捧げることまで厭(いと)わないという“英雄”は滅多に現れない。世のビジネスマンの多くは、会社の目的と自分の目的にうまく折り合いをつけながら働いているのだ。

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●社是や理念に「愛」とか「感謝」を謳っていたらブラックを疑え

ブラック企業では会社だけが儲かって、社員にはほとんど還元されない。酷い場合にはノルマに届かなかったマイナス分を、給料日に社員から徴収するケースさえある。

徹底した力の支配で搾取することで社員を無力化して、ひたすら会社のためだけに働くようにコントロールしている様は、カルト教団が信者をマインドコントロールする手法と酷似している。

このように、社員に対しては愛情のカケラもないブラック企業が掲げる社是や経営理念には、どういうわけか「助け愛の精神」などと、わざわざ「愛」の字を当ててあったり、「和の精神」とか「日々是感謝」など、一見すると「良い言葉」が並んでいたりする。

その裏に隠された会社の本音を暴露すると、「和の精神」は「勝手に休んで会社に迷惑をかけるな」ということであり、「日々是感謝」は「働かせてやってるんだから文句を言うな」ということなのだ。

また「会社は人生修行の場である」と社長が繰り返し強調するような場合も、本音ではそう思っていないことが多い。

社員を大事にして、積極的に人材育成に取り組んでいる会社ならば、本当に会社が修行の場といえるだろう。しかしブラック企業では、過酷な条件での労働に対して社員が不満を持たないように、「人生は修行だ」とか「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と勝手な理屈にすり替えているだけである。口先だけで「愛」だの「感謝」だのと言うだけで実行が伴っていない会社は、ブラックの疑いが濃厚だ。

もっとも社是や経営理念に、「愛」とか「和」を謳っている非ブラック企業もある。では、ブラックと非ブラックを、どうやって見分ければよいのだろうか。

それは意外に簡単で、労働関係の法律を遵守しているかどうかにかかっている。つまり法定労働時間が守られているか、有給休暇を取りやすいか、無用な残業が行われていないか、最低賃金は守られているかということ。

入社してから「こんなことなら、まだカルト教団の方がマシ」と後悔しないように、会社選びをする際には押さえておくべきポイントだ。

 

平藤清刀



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