ブラック企業の歴史
ブラック企業は「ブラック企業」という言葉が生まれる前からあった
かつては「企業戦士」「モーレツ社員」と呼ばれた
「ブラック企業」という言葉が一般的になったのは、2009年に映画「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」が公開された前後あたりだといわれている。
では、それ以前にブラック企業は存在しなかったのかというと、決してそんなことはない。
筆者がサラリーマン生活を始めた1980年代半ば頃には、今でいうブラック企業の条件に当てはまる企業はあった。もっと遡(さかのぼ)れば、高度成長期にもブラック企業はあったのだ。
高度成長期のブラック企業は、おそらく今のブラック企業より過酷だったのではないか。
1960年代に働き盛りだった世代の経験者によると、「帰宅できるのは週に1度あれば良い方」「残業が終わった午前1時から会議があった」「会社に泊まり込むのは当たり前だった」「子供の寝顔しか見たことがない」など、凄まじい話には事欠かない。
そんなビジネスマンのことを、当時は「企業戦士」とか「モーレツ社員」と呼んで、むしろ賞賛していたのである。そこには、戦後の混乱期を抜けて、これから経済が上向いて行くという希望が見えていたからではないか。そういう意味では、今のブラック企業とは事情が異なるようだ。
筆者がサラリーマン生活を始めた頃は、週休2日が試験的に導入され始めた時代で、さすがに高度成長期ほど激しい労働条件ではなかった。そうは言っても、「残業は当たり前」「定時に仕事が終わっているのに、先輩より早く帰ろうとすると上司から注意された」「夏は日が長いので、明るいうちに会社を出ることに罪悪感があった」など、今のブラック企業顔負けの労働条件が「当たり前」とされていた。
バブル経済の崩壊後に現代型のブラック企業が現れはじめた
バブル経済が崩壊したのが1991年のこと。その後20年間、日本経済は地を這うような低迷にあえぐ。
企業の収益が激減し、コスト削減がやかましく言われるようになった。1泊の出張が日帰りになり、宿泊するときはホテルのグレードが下げられた。
残業代を抑えるために「残業禁止令」を出す企業が現れたが、今まで残業を織り込んで回っていた仕事が、急に残業なしで回るわけがない。サービス残業が増え、休日返上も当たり前になって、やがて「働き過ぎによる疲労の蓄積が原因で死亡する」すなわち「過労死」が「Karoushi」という国際的な共通語になるほど大きな社会問題になった。
そんな時代背景の中で生まれた1本の映画が、2009年に公開された「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」だった。
この映画によって「ブラック企業」という言葉が一気に広まって、長時間労働やパワハラで社員を追いつめる企業の代名詞として認識されるようになったのである。
この時期のブラック企業の定義は今とは少し違っていて、
・徹夜が何日も続く。
・必要経費は自腹。
・情緒不安定に陥っている社員が少なくない。
など、主として労基法を守らず劣悪な労働環境で働かせる企業だけを指していたようだ。
2011年頃には「ブラック企業=悪」という認識がほぼ定着し、その定義にも変化が見えてくる。
・大量採用、大量離職。
・設立されてから比較的日が浅いのに、急成長している。
・利益優先で、若者を使い潰している。
・セクハラ、パワハラが横行している。
・労務管理が機能しておらず、社員の労働時間を把握していない。
結論として言えるのは、ブラック業の定義は未だ確定しておらず、毎年のように変化するということ。
働く若者の意識と雇用する企業側の意識が目まぐるしく変化するため、「ブラック企業とは」という定義づけが極めて難しいのである。
厚生労働省も現状を黙って見過ごしているわけではなく、是正勧告に従わない企業名を公表するなど取り締まりや罰則を強化して、ブラック企業対策を行っている。
だが、企業も生き残りに必死で、違法スレスレ、あるいは違法を承知で過酷な労働を強いる企業は、まだまだ多く存在する。そしてこの先も、ブラック企業の定義は変化し続けるのだろうと思われる。
平藤清刀
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