ストックホルム症候群
犯人と人質が閉鎖空間の中で長期間にわたって非日常的な時間や体験を共有することで、人質が犯人に共感し、信頼や愛情を感じるようになる現象。
理屈では説明できない人間の不思議な心理現象
●犯人に対抗するより同調するほうが生存の可能性が高いから?
1973年8月23日、スウェーデンの首都ストックホルムで、銀行強盗事件が発生した。
犯人のジャンエリック・オルソンはこのとき、別の事件で服役していた刑務所を仮出所中だった。オルソンは女性を含む4人の行員を人質に取り、5日間にわたって立てこもった。
事件が発生した当初、人質になった行員たちは「殺されるかもしれない」という恐怖に支配されていたが、やがて犯人との間に奇妙な感情が生まれる。
外部からはじめて人質と話すことに成功したとき、電話に出た女子行員のクリスティン・エンマークが、こんなことを言ったのだ。
「犯人は怖くない。怖いのはむしろ警察です。信じられないかもしれませんが、私たちは犯人を信頼し、大変うまくやっています」
この言葉を裏付けるような出来事があった。人質がそろってトイレを使いに行ったとき、警察は人質を保護することができたという。しかし4人とも、犯人のいるところへ戻ったのだ。
この事件は最終的に犯人が警察に投降して、人質も無事に解放されことで解決をみた。が、犯人と人質の間に生まれた奇妙な感情は終わっていなかった。人質になった女子行員のひとりがその後、犯人のオルソンと結婚したのである。
被害者であるはずの人質が犯人に同調し、愛情さえ抱いてしまう。さらに自分たちを助けてくれるはずの警察に対して、犯人と一緒になって敵意を抱く心理現象のことを、この事件をきっかけに「ストックホルム症候群」と呼ぶようになった。
その名付け親であるアメリカの精神科医は、ストックホルム症候群には3つの要素があるという。
①人質の側に、犯人に対する愛着や、ときには愛情さえ芽生えることがある。
②犯人は①に報いる態度をとり、人質を気遣うようになる。
③人質と犯人が共同して「外界」へ敵意を抱いたり、軽蔑したりするようになる。
このような現象が、なぜ起こるのか。
いろんな説がある中から1つ紹介するならば、
「有力な対抗手段をもたない自分が、武器を持っている犯人と争っても殺されるだけ。ならば、より生存確率の高い道を本能的に選択するから」といわれている。
余談ながら、「ストックホルム症候群」とは真逆で、犯人が人質に同調したり尊敬の念を抱いたりする心理現象を「リマ症候群」という。これは1996年にぺルーのリマで起こった「日本大使館人質事件」に由来する。
●辞めたらラクになるのに、ブラック企業を辞められないのはストックホルム症候群か?
SNSで「勤め先の会社がブラックでつらい」という、嘆きとも愚痴ともつかない書き込みをよく見かける。
「そんなに辛かったら辞めればいいのに」と誰もが思うはずだが、「辞めさせられる」か「辞めざるを得ない状況に追い込まれる」まで辞めないのは何故だろう?
心理学では「同意した自分を正当化する心理」がはたらくといわれる。
今勤めている会社がブラックであることが、前もって分かっていたか、入社した後で気づいたかにかかわらず、雇用契約に同意して「入社する」という意思決定をしたのは自分である。自分がその会社を選んだ事実が、辞めることを躊躇(ためら)わせているというのだ。つまり、自分の選択が間違っていたことを認めたくないのだ。
だから、他人から見れば明らかにブラック企業でも、社員はなぜか「うちの会社は素晴らしい」と愛社精神に溢れていることも珍しくない。
これをストックホルム症候群といえるかどうかは、議論が分かれるところだ。
だが、少なくともプライベートな時間を奪われ、心身の健康を蝕(むしば)まれかねないにもかかわらず、自分の選択は間違っていなかったと思い込もうとする心理状態を「正常」とは呼べないだろう。
平藤清刀
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