株式会社すかいらーく

繰り返された過労死
『御用組合』からの支援も得られず

会社糾弾を決意した矢先の過労死

「乞食になれ」「高い給料もらってんだろ」「年寄りは仕事が遅い分、長く働くんだよ」「いやならやめろ」。中島富雄さん(当時48歳)は上司からの暴言を克明に記録していた。

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2004年8月5日の早朝、富雄さんは、玄関先で突然倒れた。東部労組(東京東部労働組合)の相談窓口に、パワハラとサービス残業に耐えかねて電話をかけたのが、倒れる前日の4日。しかし、救急搬送された病院で15日に亡くなった。脳梗塞だった。

富雄さんは大学を卒業後、すかいらーく(東京都・武蔵野市)に入社し、長年店長を務めた勤続25年のベテラン社員だった。

亡くなる2年前からは、神奈川、静岡両県の複数店舗を受け持つ「支援店長」として激務をこなす毎日。各店の店長やアルバイトの欠員が出た時に、接客から調理、会計などあらゆる業務をこなした。

サービス残業は月平均130時間。180時間に及ぶ月もあった。朝7時に家を出て、明け方4時、5時に帰宅する姿も見られた。

夫の遺志を妻が継いで

富雄さんは、未払い残業代を取り返し、過酷な環境で働くほかの店長を励ますため、退職覚悟で会社と闘うつもりだった。妻の晴香さんはそのことに気付いていた。

晴香さんは、富雄さんの死から3カ月後の11月、個人で加入できる労働組合、東部労組に自ら加入し、同時に三鷹労基署に労災を申請。翌05年3月、わずか4カ月で過労死と認定された。

晴香さんは東部労組とともに、未払い残業代、パワハラ上司の処分、賠償金、職場環境の改善などを求め、会社と団体交渉を続けた。

約2年後の06年7月、会社は要求を聞き入れ解決に至った。07年6月には、パワハラを行った上司が晴香さんの面前で謝罪した。

晴香さんは、賠償金を原資に06年12月、「過労死をなくそう! 龍基金」を設立。12年8月に、過労死撲滅に貢献した人や団体に贈る「中島富雄賞」を作り、毎年表彰を行っている。

職場環境は改善されていなかった

07年10月、すかいらーく栗橋店(埼玉県)の店長、前沢隆之さん(当時32歳)が脳出血で亡くなった。春日部労基署は長時間労働による過労死と認定した。

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前沢さんは、高校2年の時にすかいらーくでアルバイトを始め、その後も働き続けた。06年3月から、1年更新の契約社員になり店長に就任。このころから多忙を極めた。

タイムカードに記録された残業時間は月40時間ほどだったが、亡くなる直前3カ月の残業時間は1カ月200時間を超えていたことが明らかになった。

休みはほとんどなく、朝7時に家を出て、翌朝3時ごろ帰宅する生活が1年半続いたという。契約社員ながら重責を負わされ、年収は200万円程度だった。

団体交渉の末、2009年5月、会社は謝罪し正社員なみの賠償に応じた。事件解決の記者会見に同席した中島晴香さんは「会社は私に、二度と過労死を起こさないと約束した。本当に反省しているのか疑問だ」と述べた。

すかいらーく労働組合を訴える

中島富雄さんの過労死から間もない05年5月に発行された業界紙を目にした晴香さんは、怒りに震えた。「本当にできる店長は、休みが取れる。1人頑張っている店長を見て『私が代りに働きますから』と言ってくれるから。それには人間的魅力がなくてはならない」。

当時のすかいらーく労働組合委員長の発言だ。晴香さんは、富雄さんに対する冒涜だと感じた。

同社は労使協調を謳い、歴代委員長は会社の幹部に昇進していく。すかいらーく労組は職場改善のための窓口にはならない。

それを見抜いていた富雄さんは亡くなる直前、外部のユニオンに相談することを選んだのだった。過労死事件で、すかいらーく労組の支援はまったくなかった。

07年7月、晴香さんと東部労組は、すかいらーく労組に謝罪と労働環境改善の努力などを求めて民事調停を申し立てた。すかいらーく労組は謝罪を拒否し続け、調停は決裂した。

東部労組は、「このような労働環境が続くかぎり、3人目の過労死被害者が必ず出る」と警告している。

 

関連用語:サービス残業  パワーハラスメント(パワハラ) 労働環境 労働組合



 

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